歩み
両親共に絞り職人のため物心付いた頃には絞り染めの製品に囲まれていました。
子供の頃の夢は「お父さんのあとをつぎ伝統工芸士になりたい」と書いていました。
思春期の頃から次第に絞り染めには興味が無くなり音楽を聴いたり友人達とバンドをしたり、将来は「音で世の中の人を幸せにする仕事に就きたい」
と思うようになり専門学校で音響照明を学び就職氷河期の中、念願叶い音響照明の仕事に就く事が出来ました。
始発に乗って帰りは終電まで、忙しくも安定した日々を送る一方で日本の伝統工芸は需要が減り若手後継者不足、職人の高齢化、海外製品の台当、
バブル崩壊後の長い経済低迷により需要と共に仕事が激減し団塊世代の職人達の多くは廃業に追い込まれ「日本の伝統工芸は自分達の代で終わるもの」と口々に話されていました。千年以上も昔から受け継がれてきた日本の伝統が失われるのは残念だけど先の見えない仕事なんて自分には出来ないし関係のないこと・・。そんなある日、伯父もまた絞り染めの伝統工芸士だったのですが病に倒れ他界されました。葬儀も終わり使われなくなった絞り道具を伯母が処分しようとしていたのを見て、もったいない・・。今止めなければ受け継がれてきた伝統は終わってしまう。
伝統が終わってしまうともう一度と言うわけにはいかない。誰もやらないなら自分がやればいい!自分しかいない!子供の頃の思いが込み上げ、
「その道具、、俺が使うから捨てずに残しておいて欲しい」と伯母にお願いしました。。
会社の上司に自分の思いを伝えると「一度きりの人生、悔いのないように頑張ってこい」と快く承諾してくださいました。
5年間勤めた会社を退社し新たな夢を叶える為に長い絞り染め職人道が始まりました。
仕事らしい仕事が出来たころ、上司にご挨拶をと思ったのですが残念ながら他界されておられ作品を見せる事が出来ませんでした。
あの時のお言葉があり頑張れています。ありがとうございました。
世界に誇れるに日本の絞り染めの魅力を伝えていきます!
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1998年-2000年
2000年-2005年
2005年
2011年
2017年
2024年
2024年
2025年
2025年
『ビジュアルアーツ専門学校大阪音響芸術学科』卒業
『ホテルモントレ大阪』入社 音響照明担当
『京鹿の子絞り』に入門
『SOU・SOU』とコラボレート
『京都芸術大学』非常勤講師就任
『白竹堂』とコラボレート
『COS』とコラボレート
『039 LAUNDRY』とコラボレート
『FILA』とコラボレート
























